手を動かすvs考えるの自分史

反射と思考の融合

突然ですが「反射と思考の融合」って言葉かっこよくないですか? 元ネタはガンダム00にて,ガンダムマイスターアレルヤ・ハプティズム(ともうひとりの人格ハレルヤ)が最終的に体得した戦闘スタイルのことです。 僕はガンダムには乗りませんが,僕にとってのここ数年のチャレンジは,この相反する2つのバランスをいかに取るかということでした。

反射というのは,「手を動かす」「考えるより先にやってみる」「行き当たりばったり」「やってみなければ分からない」「ボトムアップ的」とも言い換えても良いでしょう。 思考というのは,「考える」「考えてから行動する」「計画を立てる」「目標から逆算する」「トップダウン的」とも言い換えられます。 (脳活動全般というよりは「事前に考える」ことに今回主眼を置いています。)

学生の頃の自分は圧倒的に「反射」寄りで行動する人間でした。というより,考えてから動くということを一切しませんでした。 夏休みの課題は最初の3日に勢いで一気に進め,最後の3日に追い込まれてやるタイプでした。 ドライブの行先はいつも車に乗ってから何となく決めていました。 趣味のゲーム作りは,とりあえずゲームエンジンを立ち上げてから,そのゲームの詳細を決めていました。 これまた趣味の電子工作も,その日の思い付きで部品を買い,回路図を書き,はんだ付けをし,プログラムを書くという有様でした。 「習うより慣れよ」「とにかく手を動かせ」「考えるより行動しているやつが一番偉い」「行動力は大事」のような価値観を何となく持っていた気がします。

高校時代の英語の勉強も例にもれません。上達への道は「何度も読み書きをすること」と信じていました。 数学も「問題を見た瞬間に解法が浮かぶまで繰り返し演習を積む」というスタイルで勉強をしていました。

予備校

この野性的な行動方針が見直される最初の機会は,大学受験の失敗でした。 志望大学に落ちて入った予備校では,いわゆる受験テクニックを叩き込まれることはありませんでした。 代わりに「手を動かす前に考える」方法を教わりました。 英語講師からは,英文の全体構造を把握してから細部を読み進める方法を教わりました。 数学や物理の講師からは,問題文から与えられる情報を整理し,見通しを立ててから解答に着手する,という方法を教わりました。 現役時代に感じていた「解けそうで解けない」感覚が消え,ゆっくりではあるものの着実に問題が解けるようになりました。 (志望大学にも受かりました)

大学(学部)

しかし愚かにも,この「手を動かす前に考える」方式を受験勉強の中に置いてきてしまいました。 大学に入学してからも,前述したような行き当たりばったりの反射的な活動が続きます。 多分「それをやったら面白そうかどうか」くらいしか考えていなかったと思います。

一応この反射的な活動にも,幅広い経験と学びを得られるというメリットがあります。 在学中,流行りに乗ってとりあえずVRゴーグルを買いましたが,それをきっかけにVRゲーム制作と展示にチャレンジする機会を得ました。 大学の書店で,面白そうだと感じて買ってみた新書から,機械学習技術の世界に触れることになりました。(深層学習が話題になるかならないかの頃) 一方で,このとりあえずの活動には,容易に人を巻き込んだり,大きな成果を作れないというデメリットもあります。 出口戦略がない個人の思い付き活動なので,人を巻き込むにも説得のしようがありません。 やりっぱなしになるので,何等かの成果にも結び付きません。

研究室

そうこうしているうちに,研究室配属の時期になりました。反射ではなく思考を鍛える2回目の機会です。

「君たちの目標は来年の2月に卒論を出すことです。」というのが,初回打ち合わせで指導教員から言われた言葉です。 (気が早いなぁ… もっと研究テーマ決めの話とかあるだろうに…)と思っていると,指導教員はA4用紙を1枚見せてくれました。 それは先輩の研究をパワポスライド4枚にまとめたものでした。

研究やったことある人ならピンとくるかと思いますが,そのスライドは大雑把に「背景・課題・アプローチ・結果」と分かれていて,各スライドはメインのメッセージ一言と,そのメッセージをサポートする簡単な補足説明や図で構成されています。 それらのスライド埋めることさえできれば,それをベースに卒論が書けるというものでした。イメージしていたような「12月くらいに論文を1行目から書き始める」というやり方をしていませんでした。 1年くらい先の目標を見据えて,作るものを大枠から考えていくというトップダウン的な方針が当時は新鮮でした。

もちろん一朝一夕で身につく考えではないので,ほとんどの時期はうまくいかず苦労していましたが,何とか卒論・修論を書き上げて社会人になりました。

社会人(配属直後)

ところがこの,「大枠からやるべきことを考えて,徐々に詳細に向かう」というトップダウン的な考え方を,入社後半年の研修期間で忘れてしまいました。(研修で何を学んだの…!?) 研修が終わり,R&D系の部署に配属されてからも,僕のとりあえず手を動かすような行動方針は変わりませんでした。 課題解決につながるアイデアや分析が思いついたら,とりあえず数値計算ソフトを叩いて結果を出してみる。その結果が良かったら一歩前進,悪かったらまた考え直そう。…というのが基本的な仕事の進め方でした。

社会人(〜最近)

ただ,明確なきっかけはないのですが,上司から仕事のやり方について(ありがたいことに)徐々に指摘を受けるようになりました。 出来高で仕事をしないこと,目標から逆算すること,やろうとしていることが最善手かよくシミュレーションすること,枝葉から着手しないこと,トップダウン的に物事を進めること,情報を整理してよく考えて色んな可能性を考慮して手を動かすのは最後だということ,スケジューリングをすること,パワポに図を貼ってから報告内容を決めないこと,文書もプログラムも要件定義と設計から始めること,… 等々色々言われましたが,要は「手を動かす前に考えろ」に類することをを繰り返し言われてきました。

指摘を受け始めてからは数か月,苦しい時期が続きました。 手を動かす前に考える(例えば実験をするための段取り)を試してみるものの,考えが短時間でまとまらず,その間手も動かせず,仕事が全く進まないような状況が続きました。「まず手を動かす」ということに慣れすぎていたのです。あまりに慣れないので毎日吐き気がする思いで仕事をしていました。「あのとき長々と考えてないで手を動かしていたら,今頃結果が出ていたはずなのに!」と憤慨することも何度もありました。

が,結局は慣れやトレーニングで何とかなるもので,今ではある程度「考えてから手を動かす」「大枠から考える」のスタイルで仕事を進められるようになりました。

いつも手元にはガントチャートがあり,日々の業務はそのガントチャートに従って進めています。 このチャートは単なるスケジュールではなくて,「プロジェクトのゴールに対して,こういう風に仕事を進めれば大丈夫だよね」というのを年度初めに検討した「思考」の成果物でもあります。 もともとは月単位で大雑把に描かれてたものを,適宜週単位に詳細化します。 週初めにはその週に割り当てられたタスクをどうこなすかを考えますが,その考えに平気で半日くらい費やします。(相談等含めて) 「手を動かすのは最後」「考え終わるまで絶対手動かさんぞ」という意識で進めるようになりました。

また,週ごとに定例ミーティングがあるのですが,そこでの報告資料は前回のミーティング直後におおよそ作られています。 ただし,そこで書くのは各スライドのタイトルとメッセージだけで,それをサポートする実験結果や調査結果は追々手を動かして追加していくことになります。 会社員がパワポとエクセルをよく使う理由が分かった気がします。まず「手を動かす前に考える」ことに大きな価値があり,その考えた結果をまとめて共有・議論・合意をするためになんやかんや丁度いいのだと思います。

仕事に限らず,趣味のゲーム制作においても「思考」が使えるようになりました。事前にコンセプトを練り,必要な要素を洗い出し,計画を立て,それからやっとゲームエンジンとエディタを立ち上げてコーディングをするようになりました。

(友人を巻き込むこともできました。なんやかんや今までの人生でできていなかったことなので,これは快挙です。)

27年くらいサボってきた「手を動かす前に考える」の実践に当たって,下記の書籍たちも大いに助けになりました。

「考え方を考える」の事例が,まさに僕の置かれている状況に刺さりました。

これ読んでから中学生に戻りたいと思いました。ロジックツリーやマトリクスを書いて思考を整理することは,何もコンサルだけが使う特別な道具ではない(このくらい中学生でも普通にできることだよ),という感覚になります。

仮説フェーズと検証フェーズという考え方を初めて知りました。研究室時代は,1個有力な仮説が思いついたらすぐに手を動かし始めて,動かしている最中に「やっぱりおかしいなぁ…」ともやもやすることがありましたが,そういうやり方ではいけないということを学びました。

現在

こうしてめでたく「思考」を体得した僕ですが,悩みがすべて解決されたわけではありません。 「反射」に含まれていた行動力や,行動に伴う思考活性化効果を失ってしまったような気がしています。手を動かすことに罪悪感すら抱くようになりました。(物理的に手を動かすことに限らず,「実験結果が想定と違う原因を考える」ようなことについても「今それをやっている場合か?もっと手前に考えることはないか?」という心の声が聞こえます。)また,思考優位な状況を単純に「息苦しい」「やりづらい」と思うこともあります。

思考の訓練をした反動か,未だにもっと行動的でありたいと思うことがあります。 職場で年一回,特性診断みたいなのがあるのですが,「手を動かす前によく考えるタイプである」に「よくあてはまる」と答えるべきか「まったく当てはまらない」と答えるべきか悩みます。矯正して前者になったけど,根っこは後者だよな…「どちらでもない」にしよう。という感じです。

時々転職サイトを覗くことがあります。「頑張って習得した『手を動かす前に考える』ことが生きる求人だろうか」と思いつつも,「『とりあえずやってみる』態度がもっと受け入れられるような職場はないだろうか…」と矛盾したことを考えてしまいます。

仕事で実験協力してもらっている部署と,実験の段取りを確認することがあります。散々想像力を張り巡らせて考えた段取りを伝えても,先方に「まあとりあえずやってみましょうか!やれば分かりますよ!」と言われると,その態度とそれができる部署を羨ましく感じてしまいます。(実験は時間オーバーしました。)

「世の中の人はもっと行き当たりばったりで上手くやっているよ!」という証拠を探したくなり,「その日暮らしの人類学」なんて本を読んでみたりもしてみました。

(僕には真似できそうにないタンザニア商人のタフな生き方が紹介されていました。)

「反射」と「思考」は性質こそ逆ですが,いずれも持ち合わせるのが理想だと思います。多分世の中探せば,両方を持ち合わせた人もいるでしょう。大きなビジョンを描いて,ロードマップをしっかり描き,一歩一歩着実に行動しつつも,その時その時の状況を見て,臨機応変に瞬発力をもって対応する,ような人のことです。 ただ,どうしてもどちらかに偏ってしまったり,どちらかの性質が合わなかったりというのを体感しているので,結局自分はどんな生き方をしたらいいのかなぁともやもや考えながら2021年を終えそうです。

(ちなみにこの記事は「反射」寄りでバババっと書いてみました)